ライバルの存在

真央ちゃんのライバルは『完璧な滑りをする、真央ちゃん自身』だ。


何年か前に
優勝を果たしながら 内容に納得がいかずに悔し涙を見せた真央ちゃんを観て
そう思ったことがある。


目の前には 常に完璧な滑りをする自分が満面な笑みを湛えて立っていて
悔しくて追いつけなくて悔しくて。


凄まじいほど、完璧さを求める姿に 心に広がるのは苦味。
だって 『完璧な自分』、だよ?
追いついた、と思った瞬間に またそれが目標に代わり
永遠に追いつくことは無い。
それは上を目指して頑張れる源であると同時に
なんてツライ足枷なんだろう、もっと許してあげてもいいのに。
真央ちゃんの涙を観ながら そんなことを感じてた。
 

あれから数年。
いつの間にか 真央ちゃんを追い越せずにいた少女が中央に立つことが増え
それ以降は彼女に女王の称号を欲しいままにされてしまった感があって
『彼女に勝つためにはどうするべきか』
という議論がいろんなところで交わされるようになった。


『彼女に勝つために』?


それは周りが騒いでいることであって
真央ちゃんのなかでは相変わらず
ライバルは『完璧な滑りをする自分自身』なのかもしれない、と
思ったことがあった。


曲調も内容も かなり難しいプログラムに
周りから変更のアドバイスもあったけれど
変えずに五輪に行くことを決めた真央ちゃん。


『彼女に勝つため』なら たぶん変更したほうが良い、と思う。
でも
真央ちゃんには最初からそんな考えが無いのかも。
『彼女に勝つために』三回転半を何度も跳ぶのではなく
これは自分への挑戦。
そう考えれば なんとなく全てに納得がいく。


厳しいほどの自己鍛錬。
『完璧さ』への飽くなき執念。


少し前に真央ちゃんには『鋼の精神力』が足りない、と
タラソワさんが言っていたと書いたけれど
皆が気付いていないだけで 実はもうすでに持ち合わせているのかも。


真央ちゃんは自分自身に勝てるのか。
今日、このあと まずはSPが待っている。